公益社団法人日本建築士会連合会青年委員会

建築士会の全国各地活動報告および連合会青年委員会からのお知らせ

被災地調査報告(3〜4日目)

■4月22日(金)
【宮城県内の主要被災地調査】

盛岡発の高速バスで仙台駅まで移動。予定所要時間は1時間半であったが、高速道路の不陸による50km/h規制によって、約2時間で到着。

福島士会青年委員長で連合会青年委員の大桃一浩委員と合流し、石巻市へ向かう。
宮城県内の死者行方不明者の合計14000名余、全壊家屋55000件のうち、石巻市はそれぞれ5500名余、28000件と県内で最も被害の大きかったところである。

石巻で奥山青年委員長と会員の斎藤さんと合流。
昼食後に石巻市内の被害状況を調査。津波の状況は前日の岩手県と同じ状況であるが、標高の低い石巻市では満ち潮時の冠水被害が未だ続いている。

津波被害のあった地域では、残っている建物が使えるかどうか見てほしいという建築相談があると聞く。
平成23年4月22日、政府は東日本大震災について、特定行政庁は建築基準法第84条の規定にかかわらず、被災市街地復興特別措置法の要件に該当する区域を指定し、平成23年9月11日までの間で期間を限り、建築制限又は禁止を行うことができる閣議決定をした。
特に必要があると認めるときは、更に2か月を超えない範囲内において期間を延長することができる。
新築の制限が課せられるため、津波を受けた建物でも使用可能と判断されれば、住まい手は改修、再使用の方向で検討をするらしい。

仙台中央道路、常磐自動車道路から国道6号線を経由して福島県に入る。
福島県相馬に入ったところで再度被災地の内部を調査。
道路沿いに大きな漁船があがっていたり、線路が曲がり浮き上がった状態であったり、ここでも津波の被害が顕著である。途中、流されてきた車や家屋に当たらなかったため何件かが現存している。決してハウスメーカーの住まいだけが残っているわけではない。

郡山へ向かう途中、立ち入り禁止区域で逆戻りをし、南相馬から、浪江町、飯舘村の計画避難区域に相当する地域を通過する。
夕方の時間帯にも関わらず、街の街灯は半分以上が消灯、ファミリーレストランやガソリンスタンドはすべて閉店し、家屋の照明も約半分近くは消えていた。

夜9時前に郡山市内に到着した。
この夜も浜通りで震度5弱(郡山で震度3)の余震があった。

■4月23日(土)
【福島県内の主要被災地調査】
翌日は大桃福島士会青年委員長と二人で調査。

郡山市内のホテルでを出発し、駐車場を外部から見ると、山形ブレースの頂点部分の破談と保護モルタルのハガレを確認。
郡山市内は各所で歩道の陥没が確認された。

応急危険度調査の張り紙も至る所で確認でき、赤紙が貼られているのは殆どが新耐震基準前の建物である。 S造外壁タイル(PC版)の剥離、層間変形に追随できないALC版の小口部分破壊、構造せん断クラック、ガラスの破損は比較的新しい建物(築20年前くらい)でも確認できた。

郡山市内で被害の大きかった建物を3つ調査した。
一つはRC4階建ての1階部分の倒壊。柱梁接合部の柱側で破壊がおこり、1層分がすべて圧壊している。鉄筋が丸鋼なので相当築年数が経過している。 また、郡山市役所(昭和43年竣工)では5層の庁舎の上部にあるPH階(展望台)が倒壊。そのほかに構造的な大きな被害は見受けられないが、サッシが揺れに追随できず、至る所で破損が確認された。

最後に、直接確認できなかったが、鉄骨造瓦屋根の「かっぱ寿司」が倒壊し、調査時点では解体工事が進んでいた。

その後、いわき市へ向かう。
土砂崩れに巻き込まれた木造家屋住宅を確認。ブロック塀を倒した状態であった。また海側のいわき市では宮城同様瓦屋根の被害が多数見られたが、家屋の損傷は多くは確認されてない。

郡山では応急危険度判定の募集依頼のラジオ放送が流れているらしいが、調査は申し込み後1〜2週間ほどかかるとのこと。本震で倒壊を免れても、その後の余震によって倒壊に至るケースもあるらしい。

郡山を夕方16時に出発し、岐阜に21時到着。
今回の被災地調査ですべてを把握できた訳ではないが、被災地の支援、復興等、建築士会としてやれることがたくさんあり、基本的には地元の建築士会との連携を密にする中で機動的に対応できるような体制をつくっておくことが重要であると感じた。

郡山市役所の震災前の写真

 

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